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見た目は大和撫子、話すと情熱的で男前!?業界初・和装イメージコンサルタント 上杉惠理子とは何者?

初めまして!日本初の和装イメージコンサルタント 上杉惠理子です

 

こんにちは!
初めまして!

きものは日本女性の最強の勝負服!
和装イメージコンサルタント
上杉 惠理子です。

ただ、きものを楽しむだけではなく
ただ、着付けを習うだけでもない

 

きものを戦略的に着こなす
ジャパネスク・レボリューション和装女性育成塾
を主宰しています。

 

私がきものに出会ったのは2004年。

 

それまでの私は
ぽっちゃり体型で
痩せたい願望のカタマリでした。

 

しかも、ファッションセンスがないと思い
着るのは黒などモノトーンばかり

 

「喪服?」
と言われることもしょっちゅうで
自分を地味なキャラだと思い込んでいました。

 

 

きものはそんな私を
一瞬で変えてくれました。

 

きものを着ると
ぽっちゃり体型が気にならず
いい感じじゃないかと自分を認められ、
「痩せさえすれば」という執着を手放し
あっという間に10kg体重が落ちました。

 

ピンクの花柄ワンピなんて
絶対に着たくない!と思っていたのに
ピンクの花柄の着物を着こなして
おしゃれを楽しめるようになりました。

 

 

しかも
初めてのレストランでもVIP対応をされ、
ご一緒するお相手の方の格も上げてくれます。

 

イベントに行けば
「お着物素敵ですね」
と自然とご縁が広がり
母や祖母から受け継いだ着物は
自分を守ってくれるような
お守りのように心強いもの。

 

しかも、
きものは思っていたよりも難しくなく
実はとっても身体に楽。

 

さらに、
着まわし力バツグンで高コスパ。

 

 

おばあちゃんになっても
おしゃれを楽しめる衣装であり、
洋服とは全く違うコーディネートを
楽しめる衣装だとわかりました。

 

 

きものは日本女性の
最強の勝負服!

 

 

✔ 女性らしい華やかさと
自分らしい個性を装いで表現したい

 

✔ もっと大人の女性として
  自分を高めていきたい

 

✔ 自分の外見にも内面にも
 自信を持って生きていきたい

 

✔ 日本国内はもちろん
世界を舞台に仕事やライフワークで
活躍する女性になりたい!!

 

そんな女性たちに
きものの真の魅力を伝え
最強の勝負服を手渡したい!!

 

そんな思いを込めて
業界初の和装イメージコンサルタントとして
ジャパネスク・レボリューション和装女性育成塾
を主宰しています。

 

きものを着こなすってどういうこと?

きものを戦略的に着るってどういうこと?
と思ったら、

 

まずは私が書き下ろした無料PDF小冊子を
ダウンロードして見てくださいね!

 

>>無料PDF小冊子『着付け経験ゼロからの きもの着こなしレッスン』
https://kimono-strategy.com/?page_id=50?profile

 

 

起業物語 〜回り道だらけからの、和装イメージコンサルタントへの転身まで〜

 

今でこそ、着物という
ファッションのシゴトをしていますが

たくさんの回り道をして、
たくさんの方と出会って…
今の私があります。

 

子どもの頃から、きものを着ていたわけでも
きもの業界で働いていたわけでもないのです。

何かヒントにしていただけたらと思い
私の起業物語を綴ります。

 

1)ぽっちゃりで、ファッションとは縁遠い、パッとしない私

 

私の家族は
両親と弟と妹の5人家族。

 

東京の下町にある町工場の次男坊で
英語教師だった父親と

茨城県の山村の出身で高校を出てから
某百貨店直営の仕立て所の
和裁士として働いていた母

 

二人の間に、1980年に
私は東京で生まれました。


▲両親の結納

 

 

小学生時代、好きだったことは
学校の休み時間に男の子たちと遊ぶ
ドッジボールや手打ち野球。

 

仲良しの女の子友達3人で
リカちゃんとかバービーちゃんとか
人形遊びをするも好きでした。

 

あとは本が大好きでした。
上杉家は雷親父の父の元、マンガ禁止だったので
ひたすらライトノベル。または、怪盗ルパン。

 

勉強も好きで、
ほどほどに色々できた子だったと思いますが
ずば抜けて得意なものはありませんでした。

 

 

抜群に走るのが早くて
運動会でヒーローになる男の子

 

TV番組にも詳しくて
いつも笑わせてくれる女の子

 

学期末のお楽しみ会で
特技を披露してくれる男の子

 

顔も服もいつも可愛くて
一目置かれる女の子

 

 

そんなクラスメイトたちを
羨ましいと思っていました。

 

 

本当は私は目立ちたがりで
「すごいね」と言って欲しい、
子どもだったのだと思います。

 

 

そして
私にとても大きな影響を与えた人が
父の姉の娘、従姉妹の洋子姉ちゃんでした。

 


▲左が私11歳、
右が言うまでもなくお姉ちゃん。

 

 

私より一回り年上の洋子姉ちゃんは
宝塚歌劇団 月組の男役でした。

 

私は小学校5年生のときに
お姉ちゃんが出た
『ベルサイユのばら
〜オスカルとアンドレ編〜』
(涼風真世さん主演)
を東京の宝塚劇場で観て宝塚と出会います。

 

ストーリーよりも
舞台からくる圧倒的なパワーに
魅了されました。

 

 

誰かが私とお姉ちゃんを
比較をして何か言うことは
1度もありませんでしたが

 

 

私の両親も叔父叔母も
「洋子ちゃんはすごい」
「宝塚に入っちゃうんだから」
とよく褒めていました。

 

 

親戚が集まるイベントで
お姉ちゃんが来ると
その場の主役はパッと
お姉ちゃんになるのがわかりました。

 

 

華がある

場の主役になる

 

とはどういう人かを
私はお姉ちゃんを見て学びました。

 

 

私は小学4年生からなぜか
ミニバスケットボールチームに入ってしまい、
中学は先輩の誘いを断れず
超体育会系の女子バスケットボール部へ…。

 

バスケは正直好きではなく
練習は恐ろしく厳しいし、補欠のまた補欠。

 

しかも辞める勇気もなく
部活引退まで続けていました。

 

 

部活漬けの中学生活の中
半年に1回、部活をサボり
宝塚の舞台を観に行くのは
私にとって特別な時間でした。

 

小さい頃からバレエを習い
背も高く、綺麗で
どこに行っても人に囲まれる
華があるお姉ちゃん。

 

小さい頃から習っていたのは習字で
メガネをかけて
背も小さく、ぽっちゃり体型で
パッとしない私。

 

 

中学時代の私にとって
洋子姉ちゃんは
近くて憧れの人なのに
雲の上のような存在でした。

 

 

舞台を観に行くと
楽屋にも会いに行ったのですが、
会いたくて行ったのに
何を話せばいいのかわからず
もじもじしていました。

 


2)やらずに後悔するより、やって後悔する!宝塚受験の2年間

ぽっちゃり体型で
地味キャラまっしぐらだった
私のターニングポイントが高校受験でした。

 

高校受験のときについに

「高校に入ったら演劇部に入って、
ダンスもするんだ!」

と初めて自分で自分がやりたいことを宣言。

 

第一志望の高校に合格し
演劇部に入り、
地元のカルチャーセンターで
ジャズダンスを習い始めます。

 

 

ダンスを始めて
自分の身体と頭が一致するようで心地よく
演劇部の初舞台の上では
自分はこんなに笑えるんだと気づき、
なんでも語れる友達にも恵まれ
とっても楽しい高校生活でした。

 

1年目の3学期からダンス部に転部。
ダンス部の友達の方が
宝塚や劇団四季など
正統派ミュージカルが好きな子が多く
話が合いました。

 

 

朝練、昼練、夕方練…と
ダンス漬けで
それが楽しくて楽しくて^^

 

 

そして、高校2年の夏休み。

 

 

ある日のダンス部の練習中に
同期の一人が言います。

 

「えりちゃん、
 一緒に宝塚を受けようよ」

 

 

びっくりしながらも
即、「受けたい」と言って
その場でボロボロ泣いてしまいました。

 

 

 

宝塚の受験には年齢制限があり
中学3年から高校3まで
人生で4回しかチャンスがありません。

 

 

受けなかったら
絶対に一生後悔する。

 

 

そのあと、私は両親に
長い手紙を書いて
「宝塚を受けたい」と思いを綴り
受からなかったら
浪人生になって大学生になります
と約束をして

 

 

高2の2学期から卒業まで1年半
週4回のバレエ、週1回の声楽
そして、週1回のジャズダンスと
宝塚受験に一筋の日々を送りました。

 

 

 

この時の
バレエのレッスンは…

本当にしんどい日々でした。

 

歌はマンツーマンでしたが
バレエは地元で一番のバレエ教室でした。

 

周りはみんな
「3歳からバレエを始めました」というような、
お人形さんみたいに細くて可愛い子ばかり。

 

 

私は相変わらずのぽっちゃり体型で
16歳でバレエを始めて
フランス語のバレエ用語を
一から覚えるところからスタート。

 

「宝塚を受けたくて
バレエを始めました」
なんて、口が裂けても
言えませんでした。

 

 

 

こんなにできるようになった!
この調子でもっと頑張ろう!
と、喜びながら帰る日と

 

全然ダメだ、私が宝塚なんて無理かもと、
半泣きで自転車を引いて帰る日と

 

1日交代でやってくる日々でした。

 

 

そして高校2年と3年と2回、
東京での宝塚音楽学校
一次試験を受け、どちらも落ちます。

 

あっけなかったなあ
というのが正直な気持ちでした。

 

バレエも声楽も
なんとか課題をできる程度。

 

結局、体重も落ちなかった。

 

 

ですが、あの時受験をしていなかったら
「受ければよかった」
とずっと後悔したと思います。

 

 

やらずに後悔するより
やってから後悔する

 

これが私のその後の人生で
考える基準になっています。

 

 

宝塚の不合格結果が出た翌日から
私は浪人生になり
1年間、勉強漬けの日々を過ごし
大学生になります。

 

3)新しい夢探しのスタート

 

宝塚の女優になる、という夢が終わった私は
1年間の浪人生を過ごし2000年、
私は法政大学の社会学部に入学します。

 

ここから長い
「自分のやりたいこと探し」
に突入します。

 

ダンスやミュージカル以外に
私が興味を持っていたことが
世界中の国を見に行くことでした。

英語の教師だった父が
留学していたときのアルバムを見て
いつか私も行ってみたいなぁ
と思っていました。

 

私は大学2年生から
国際関係の先生のゼミに入り
安全保障とか難民問題とか
ひたすら本を読んで
世界のことを調べていました。

 

長期休暇になると、
ゼミの仲間たちは一眼レフカメラを首にかけ
バックパックを背負って
自分がテーマとする地域へ
旅に出かけて行きました。

 

 

特にアジアに行く仲間が多かった。
タイ、カンボジア、ベトナム、
フィリピンなどなど。

 

 

男の子はもちろん
女の子もどんどん出かけていて
すごい安宿に泊まったかとか
どこで野宿をしたとか
何を盗まれたとか!
それぞれ武勇伝を持っていました。

 

今思うと、
誰も事件事故に巻き込まれず
皆無事でよかったです…苦笑

 

そんな仲間たちの中で
私が思ったことは

 

みんなが行かないところに行こう。

 

そこで

 

アフリカ

 

をテーマに
勉強するようになりました。

 

自分の思いよりも

人と違うことをする

が、いつの間にか
私の選択基準になっていました。

 

4)父の死と、人生初のアフリカ渡航

大学3年生からは踊りよりも
ゼミの勉強に集中しよう
交換留学にもチャレンジしよう
と思っていた矢先…

 

 

父親が倒れました。

 

 

春休みで自宅にいた父は
胸の痛みを感じて
自分で救急車を呼び
即入院、緊急手術。

 

半年間、意識があるのかないのか
わからないまま入院生活を過ごし
9月23日に、父は他界しました。

 

 

まだ52歳だった父。
音楽、自転車、料理…と多趣味だった父。
「住宅ローンが終わったら
教師は辞めて、定食屋をやるんだ」
といつも言っていた父。

 

 

やりたいことは
もっともっとあったはず

 

と、今も思わずにいられません。

 

 

父の死をきっかけに
たとえ今、自分が死んでしまっても

 

「やりたいことをしたのだから
上杉惠理子は後悔がないはずだ」

 

と家族友人に言ってもらえて
清々しく見送ってもらえる人生を送ろう
と思いました。

 

 

私たちの人生は有限であり

そのリミットはいつなのか

死ぬその日まで誰もわからない

 

 

その事実を
本当に身を持って学びました。

 

 

この思いは今も変わっていません。

 

 

 

父が亡くなった後
なんとか大学の交換留学制度に合格し
4年生の夏から10か月
人生初のアメリカに行くことが決まりました。

 

 

父のお葬式、
そして交換留学の試験、
そこまではがんばれたのですが…

数ヶ月、何をしても思いが乗らず、
自分の身体のネジが一本なくなって
しまったような状態でした。

 

一生懸命、自転車を漕ごうとしても
何か部品が足りなくて
思いどおりのスピードが出ない、そんな状態。

 

何か動けない…

 

がんばりきれない…

 

このままではいけない…!

 

と思って、私がやったことは

 

アフリカ、 ケニア

 

に行くこと!

 

ボランティアとして
受け入れてくれる団体を探し

 

インド航空のムンバイ経由
ナイロビ行きのチケットを買い

 

黄熱病だ、A型肝炎だと
予防接種の注射を数本打ち

 

大学3年生の春休みを使って
一人でケニアへ向かいました。

 

ナイロビの空港に着陸する直前
飛行機の窓から

赤茶色の大地が見え

アフリカに来たのだと
実感させてくれました。

 

 

この旅はたくさんの思い出があります。

 

首都ナイロビから車で
2時間ほど走った山の中で、
障がいを持つ孤児が暮らす家に
3週間ボランティアとして過ごしました。

 

電気ガス水道、何もなかったので
私たち自身の食事を作るのも
炭で火を起こすところからスタート。

 

慣れない私たち日本人学生を
小学生の子どもたちが
たくさん助けてくれました苦笑。

 

親がいなくても
障がいも持っていても
はじけるような笑顔で
接してくれる彼らとの生活で
私はすっかり癒され元気になりました。
(私がボランティアだったのに!!笑)

 

 

何か行き詰まったら
環境を変えるといいと
よく言われますよね。

 

私にとってこのケニアの旅は
父の死を乗り越えるために
必要な時間でした。

 

 

大学4年生から
交換留学でアメリカに行き
戻ってから大学5年生で
一度就職活動をします。

 

ところがピンとこなくて
結局、大学院に行くことに決めました。

 

私がきものを着始めたのが
ちょうどこの時期でした。
(やっと出てきましたね笑)

 

 

アメリカでの交換留学中に
国際交流のイベントで
浴衣を着たことがあり

 

これから海外に行くなら
きものを着れた方がいいな
と思ったのでした。

 

交換留学から帰国し母に

「きものを着てみたい」

と、つぶやいたところ
どうやら嬉しかったようで
あっという間にご近所の着付けの先生を
探してきてくれて
勉強の傍ら約1年ほど着付けを習いました。

 

5)何の専門家として、誰のどんな役に立ちたいのか?

 

25歳で私は大学院に進みます。

 

東京、国立にある
一橋大学の大学院でした。

 

アフリカを勉強するのだからと
2年間の大学院生活のうち
8ヶ月はエチオピアにいました。

JICA(青年海外協力隊を出している国の機関)
のインターンシップに応募し、
JICAのエチオピアでの
農業プロジェクトを手伝わせていただきながら、
農家さんの生活をヒアリングし
自分のリサーチもさせていただきました。

 

と言っても
私、農業は全くわかりません。
ベランダ菜園もできません。

 

 

アフリカの農村の暮らしを
見てみたい、知りたい、
現場に行けば わかることがいっぱいあるはず!
と思っていました…。

 

 

JICAの日本人専門家の方々は
現場をよくご存知なので

 

「農家さんも忙しいんだよ。
時間を無駄にさせないように
キミの調査は何に役に立つの?」

といつも指摘下さいました。

 

 

私はその問いかけに
不甲斐ないことに満足に答えられず

 

最初の2ヶ月はエチオピアにいながら
プロジェクトの事務所でデータ整理の日々でした。

 

 

せっかくエチオピアにいるのに
日本でもできることをし続けるんだろうと
もどかしい気持ちと格闘しながら

 

自分は何の専門で
何のために調査をして
誰のためになるのだろう?

 

と考える日々でした。

 

ですが…そう簡単には
わからなかった。

 

「上杉さんは何をしたいの?」

 

と食事をした時や、移動の車で
JICAの専門家の方に聞かれるのが
だんだんと辛くなっていました。

 

高校生のときは
やりたいことがあるのに
言い出せなくて辛かったのに

 

今度はやりたいことがわからなくて
辛くなる日々でした。

 

 

 

2年間の大学院生が終わったら
もう就職しようと決意。

 

 

私は何の専門家として
誰の、どんな役に立つのか

 

まだ答えが出ぬまま
私が最初の就職先として選んだのは
名古屋にある水処理の維持管理会社でした。

 

 

下水道や浄化槽、
食品工場さんの排水処理施設など
そういった施設の管理を任され、
汚れた水をきれいにして海に戻すという仕事です。

 

 

アフリカで過ごし
アフリカの水を飲んだので
これからは環境問題だ、
環境ビジネスの会社に行こう!
と思ったわけです。

 

27歳でやっと
社会人になります。

 

 

ところが入社してから気づいたのですが
水処理は
生物、化学、電気、機械工学、建築…
理系科目全部必要とする超専門分野!

 

 

専門の技術者ばかりの会社だったので
私のように文系出身で
コミュニケーション能力が
高そうな女性に期待くださったのでした。

 

 

私は営業支援の仕事に就き
技術職の同期と一緒に
国家試験を受けたり勉強もしましたが…
やっぱりわからなかった!

 

 

27歳から3年ちょっとがんばって
ついに、諦めました。

最後は仕事を動かせず
議事録1本も通せず
いつも上司の前で泣いていました…苦笑

 

 

次は、自分が理解できて
愛を持ってオススメできる
商品やサービスを扱う仕事をしたい。

 

そう思って転職活動をして
次の仕事に選んだのが
星野リゾートの営業・マーケティングの仕事でした。

 

6)仕事の楽しさを教えてくれた、星野リゾート時代

 

2011年1月31日に
最初にお世話になった環境ビジネスの会社で
最後の片付けをして

 

2011年2月1日から
星野リゾートの東京オフィスに
出社します。

 

 

北海道にあるトマムの
営業・マーケティングが
私の新しい仕事になりました。

 

 

▼星野リゾート トマムって
どんなところ?と思った方はこちら
http://www.snowtomamu.jp/winter/

 

 

北海道の真ん中にある
スキー場を持つ大型リゾートです。

 

バブルのときに作られ
スキーブームの時代は大人気でしたが
バブル崩壊後に破綻。
星野リゾートが再生に入っていました。

 

 

しかも私が入社して1ヶ月後に
東日本大震災が起き
観光業界はこれからどうなるのか
ととても不安になったことを覚えています。

 

 

私の仕事は
JTBや日本旅行など
旅行会社さんへの営業&マーケティング。

 

簡単に言うと、
旅行会社さんの店頭に並ぶパンフレットに
トマムを載せてもらう仕事でした。

 

 

自分が提案して関わったプランが
パンフレットの誌面に載り
お客様からご予約が入り
トマムにいらっしゃって
売上が上がり、ご感想が届く。

 

 

社会人になってやっと

「仕事ができた!」
「仕事って楽しい!!」

という実感を持てました。

 

私が出社して仕事をしていたのは東京でしたが
年に3〜4回はトマムに出張し
休みを使ってスキーをしたり、
トマムのレストランで食事をしたり
トマムでの時間を楽しみました。

 

 

いつの間にか
私もトマムが大好き。

 

 

大好きな場所のことを営業するのは
とてもとても楽しく
仕事を通じて成長する自分を
感じる日々でした。

 

私が在籍した時期は
会社としても全国各地にどんどん
運営施設が増え、大きく伸びていきました。

 

 

おやすみを使って
青森、軽井沢、金沢、川治、箱根、熱海…
私も各地へ旅に出て
星野リゾートの宿に幾つも泊まりました。

 

 

ですが、

 

私だからできることは
なんだろう?

 

という疑問をどこかで感じていました。

 

平日の朝や夜、そして休日は
ビジネスのセミナーや
勉強会によく出ていました。

 

 

2012年は仕事の傍ら
1年かけてヨガを学び
ヨガのインストラクター資格を取ります。

 

ヨガも好きでしたし
ずっと踊ってきた経験を
活かせるのではないかと思ったから。

 

 

ところが資格を取ってみると
ヨガインストラクターさんは
すでにたくさんいるし
別に自分が仕事にする意味がないと
思ってしまいました^^;

 

 

同じ頃から
ベリーダンスも習い始めます。

 

レストランショーができるようになれば
大きな舞台に立たなくても
一人でも、人前で踊り続けられる
と思ったから。

 

とはいえ、私が踊ることで
それで誰かの役に立てるとは思えず
趣味の域を超えられないと気づいていました。

 

 

振り返ると私は長く長く
自分探しをしてきたんだなぁと思います。

 

…そしてついに

きものの存在に気づきます。

 

7)きもの、かもしれない!?

 

星野リゾートで大好きな仲間と
大好きな仕事、大好きな会社で
過ごしながらも

 

心のどこかで
私だからできる仕事は
他にあるのではないか
と思っていました。

 

 

2013年頃
自分の強みを書き出すワークを
続けた時期があります。

 

 

強みは、世界で自分だけが
できることではなく、

 

「友達の**さんはできないけれど
自分はちょっとうまくできること」

 

それが全て強みなんだよ
と教えてもらい

 

自分の強みを30以上書き出すワークを
1ヶ月に1回書いていきました。

 

 

– トマムのことを語れる
– 毎日お弁当を作れる (当時)
– 字がきれい
– 身体の柔軟性がある


 

最初は10個程度しか書けなかったのですが
繰り返していくと
30個以上書けるようになりました。

 

 

このとき
毎回書いていたのが

 

– きものを自分で着られる
– きものが似合うと言われる

 

この二つでした。

 

 

当時はまだ
きものが自分の仕事になるとは
思ってもいませんでした。

 

 

月に1〜2回週末に着るだけで
3〜4ヶ月全く着ない時期も
時々ありました。

 

 

学生時代に着付けを習ったものの
人に着付ける方法や
花嫁さんや成人式の着付けは
勉強していませんでした。
(むしろ、興味がなかった笑)

 

 

きものを着るのが、ただ好きなだけ
と思っていました。

 

 

ですが、私がきものを着ると
知っている人も知らない人も
「お似合いですね」
とっても褒めてくださる。

 

 

そして多くの女性に

「着物、素敵ですね
私もいつか自分で着てみたい」

と言われました。

 

 

私の洋服は
ユニクロとスーツカンパニーばかりで
仕事もプライベートも
大した区別なく過ごしていましたが

 

きものは
実家に帰るたびにタンスを開けて
母のきものを次はこれを着よう
このきものと、この帯を合わせてみようと
考えるのが大好きでした。

 

 

きものはとっても楽しいのに。

 

みんなが思っているほど
難しくないのに。

 

苦しいとか大変とか言われるけど
別にそんな大したことはないのに。

 

 

もしかして…
きものだったら
私だから伝えられることが
あるかもしれない!?

 

と、ふと気付いたのが
2014年12月でした。

 

 

そこから
起業を目指す人向けの
ビジネスコンテストに応募したり
普段着の着物の着付けを
練習する会を主宰してみました。

 

 

ところが動き出してみると
聞こえてくるのは
きもの業界の難しさ。

 

 

素晴らしい技術を持つ
着付け師さんでも
忙しいのは成人式と卒業式くらい。

 

 

呉服屋さんに就職する以外で
きものの仕事1本で食べている人は
ほとんどいない。

 

その呉服屋さんも
大変なところばかり。

 

 

きものはもう
仕事にならないのだろうか…?

 

 

そう思っていた2015年8月。
USPプロデューサーの
鉾立由紀さんに出会います。

 

8)自分が輝くことを許しなさい 〜起業家への第一歩〜

 

自由にやりたいことができる
日本というこの国に生まれたからこそ

 

自分だからこその人生を生き
世界を良い方向に変える一助となりたい。

 

とはいえ、
何をしたらいいのか
わからない。

 

もしかしたら
ただ好きで、10年以上着てきた
きもの、かもしれない。

とはいえ、このご時世、
きものではシゴトになりそうにない。
ボランティア…?副業?

 

そう思っていた2015年8月
USPプロデューサー
鉾立 由紀さんと出会います。

 

 

鉾立さんは
これまで世になかった
新しいシゴトで活躍する
個人起業家をどんどん育てている方。

 

 

鉾立さんが最初に
言ってくれたことは

 

たった一人でいい、
理想のお客様に最高に喜んでもらえる
商品・サービスを作れば必ずシゴトになる

 

ということ。

 

しかも、
そのたった一人の理想のお客様は

過去の自分。

 

 

その言葉にハッとして
改めて、自分が何に悩んでいたのか
きものは何が解決してくれたのか
を考えました。

 

 

そこで私は、小学校の頃から
スポーツ、トーク、外見
何かで目立つクラスメイトを
羨ましく思っていた自分を思い出します。

 

 

ファッションセンスが無いと思い、
洋服ではモノトーンばかりだった私。

 

人は外見じゃないし、
仕事も勉強もがんばってるもの、
と思っていた私。

 

最低限のメイクと服選びは
しているからいいじゃないか、
と思っていた私。

 

ファッション雑誌を見ても
みんな同じ顔、同じ髪型じゃないか
こんなふうになりたいわけじゃない
と思っていた私。

 

 

ブランドバッグを持つなんて
私は企業の広告係じゃない
と思っていた私。

 

 

クリスマスパーティなんてありえない、
と思っていた私。

 

 

服にお金を使うなら
もっと意味のある使い方がある、
と思っていた私。

 

 

それは全部
外見も輝く人になりたいという
自分の願いの裏返し。

 

 

宝塚を受けたいと思っていた時は

 

「私はあの大階段を
スポットライトを浴びながら
降りてくるんだ」

 

「客席からの大きな拍手を
受けながら
フィナーレのお辞儀をするんだ」

 

と明確な自分のイメージがあり
それを想像すると
なんとも幸せでワクワクする気持ちが
止まりませんでした。

 

 

ところが宝塚の夢が終わり、
自分だからこその仕事を
探している間

 

自分がどうなりたいか

 

何を望んでいるのか

 

真正面から見つめることを
無意識のうちに避けてきたのです。

 

自分の本当の願いにフタをして

自分が今できることは?

 

世間に求められていることは?

 

必要とされそうなことは?

 

そればかりを考えて
「自分がやりたいこと」
を探し続けていた。

 

 

だから、
見つからなかった。

 

 

きものは着るだけで
自分を輝かせてくれる
魔法のような衣装です。

 

 

母が仕立てた きものは
誰とも被りません。

 

 

「流行」に振り回され
お金を浪費することなく
自分の好きを追求できる。

 

 

しかも何十年も長持ちするし、
形が決まっていて着回しが効くから
エコロジーな衣装でもある。

 

 

そして、おばあちゃんになっても
女性として、一生おしゃれを楽しめる。

 

 

本当になりたかった自分は

宝塚受験をした時から
変わらず

 

外見から
自分らしく輝ける自分
だと認めました。

 

きものは
私の願いを全て叶えてくれる
最強の勝負服だったのです。

 

 

しかも、きものを着て
外見に自信を持てると
内面が変わるのです。

 

周りの人のおしゃれや
こだわりに気づき、
素直にいいですねと
言えるようになりました。

 

 

何かで頑張りたい人に
ヤキモチを焼かずに
心から応援し、
言葉や行動に出せるようになりました。

 

 

人間は
自分自身を好きな以上に
人を好きになれないそうです。

 

自分自身を信頼する以上に
人を信頼できないそうです。

 

 

自分を好きになり
信じることができれば、
周りの人のことも
もっともっと大事にできるのです。

 

真の意味で美しくなることは
人間性を高めることにつながる。

 

 

そのことに気づいて
私も含めて、皆
美しくなっていい

と確信しました。

 

 

自分が輝くことを許す
と決めました。

 

 

そして鉾立さんは私に
和装のイメージコンサルタント
として立ちなさい」
と言ってくれました。

 

 

イメージコンサルタントとは
その人が最高に輝くために
主に装いをアドバイスする仕事。

 

装いだけでなく
話し方や仕草まで
アドバイスすることもあります。

 

洋服の分野では
カラー診断、骨格診断、キャラクター診断
様々な手法が開発されてきました。

 

洋服のイメージコンサルタントの方が
日本でも世界でも
たくさん活躍しています。

 

 

ところが、
和装でイメージコンサルタントを
名乗る人は一人もいなかったのです。

 

 

「いや、イメージコンサルタントって
そんなファッションの最先端の華やかな仕事とは
私、全くの無縁の世界で生きてきたんですけど!!」

 

と、びっくりする私に

 

 

「そんな上杉さんだから
洋服でうまく自分を表現できず悩んでいる人を
きもので輝かせることができる」

そう鉾立さんは言ってくれました。

 

 

これが私の
和装イメージコンサルタントとしての
スタートでした。

 

 

そこから半年間
週5日、平日の昼間は
星野リゾート トマムの営業として
仕事をしながら起業準備を進めます。

 

 

年が明けて2016年1月
初めての体験セミナーを実施。
3回のセミナーは満席御礼でした。

 

 

そして2016年3月
和装イメージコンサルタントが行う
日本で唯一、いや世界で唯一の和装塾

ジャパネスク・レボリューション和装女性育成塾
を開講。

 

 

開講と同時に
正社員としての会社の仕事を減らしていき
2016年10月完全に会社を退職。

 

 

ただ、
きものを着るのではなく

 

ただ、
着付けの手順を覚えるのではなく

 

自分らしく美しくなって
最高の人生を歩みたい女性

きものという
最強の勝負服を手渡す

 

 

それが、
和装イメージコンサルタントとして
私の仕事です。

 

 

ちなみにこの先は

男性に向けても
和装イメージコンサルをして、
サエない男性を
むちゃくちゃかっこよくしたいですね。

 

 

アメリカや東南アジアなど
海外駐在をしている日本人女性に向けて
海外でも和装塾もしたいな^^

 

 

そして、大好きなきものを
仕事にしたいと願う人に
この和装イメージコンサルタントの仕事を
手渡していきたいと思っています。

 

人生は思った通りにしかなりません。

 

これからさらに未来を描き
一人でも多くの女性を
きもので輝かせていくこと

 

そして

 

きものと
きものに込められた知恵と感性を
次世代に受け継ぐことをミッションとして
1日1日を大切に精進していきます。

 

 

私のストーリーが
自分も輝きたいと願う女性の
背中を押すキッカケになれたら
これ以上に嬉しいことはありません。

 

上杉惠理子ってどんな人ですか? 〜お客様の声〜

 

美しい和装美人でありながら、
熱く、パワフル。

かつてのお嫁入り道具「着物」を
イメージ戦略のツールとして、
現代に蘇らせる、まさに現代の大和撫子!

 

ご自分の思い・感性・人生を
とても大切にされている方です。

着物に対する愛情はもちろんですが、
ご自分にも、関わる全ての方にも
惜しみなく愛情を注がれる方だと思いました。

 

信念があり、夢があり、行動力があり、
いつも明るく華やかな人。

でも、優しくて、
目線の高さを塾生と同じ高さに
合わせてくれる人。

1人ひとりの状況に合わせて
細かな相談にも丁寧に応じてくれて、
一緒に喜んでくれるし、
その人の良さを見つけて背中を押してくれる人。

 

きれいな女性です。
一人一人の状況をよく見てくださいます。

きちんと目を見て、
問いかけに答えるだけではなく、

どう思いますか?どうしますか?
と自分で考えること、

自分の人生は自分で決めること
を提唱してくださる方です。

 

着物の神(がいるとしたら笑)に選ばれし人
と私は思っています。

色んな着物美人を見てきましたが、
私個人的にナンバーワンに着物がお似合いです。
見た目は女性らしいのに、
個別セッションは男前でした。
着物への愛がゆるぎなく、
凛としていてかっこよかったです。

 

 

着物に対する情熱と
大きなビジョンを持っている方です。

誰に対しても明るく温かく接して
その人の良さを引き出してくれます。

何より、可愛くてきれい!
そこにいてくれると楽しいです^^

 

プライベートプロフィール

<ルーツ>

東京都八王子市出身。
東京・下町の町工場の気ままな次男坊で
英語の教師の父と

 

茨城県の山村から上京し
縁あって和裁士となった母

 

二人の間の
3人きょうだいの長女。

 

 

学生時代まで八王子で育ち、
そのあとは、名古屋、
両国、高円寺と住まいを移し

 

現在は、世界中からお客様が集まる
和のエンターテイメントの街!
東京の浅草に住んでいます。

 

 

<趣味>

◇ミュージカルが大好き!

宝塚歌劇、劇団四季、ブロードウェイなどなど
iTuneにはミュージカルのサントラがずらり。
特に好きな作品は
RENT、Hairspray、Wicked、美女と野獣

 

◇踊ることが好き!

ミュージカルを見ているうちに
自分も踊りたくなり
高校1年生のときにジャズダンスを始める。
以来、クラシックバレエ、モダンダンス、
ベリーダンス、ヨガ、阿波踊り
…といろいろな踊りを経験。

 

 

◇旅が好き!

学生時代はアフリカ大陸に憧れ、
エチオピアに通算10ヶ月滞在、
農家さんのお家をたずねて
インタビューをしたことが修士論文に。
バックパックを担いで陸路で旅するのが好き。
2015年はカンボジアの
アンコールワットへ。

ついつい「普通」じゃないルートで
まわりたくなる。

 

◇食べることが好き!

飲むことも好き。
ブラックコーヒーで、甘いケーキの組み合わせが好き。

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