こんにちは。
上杉惠理子です。
オンラインセミナー&交流会 KIMONO WORLD
VOl.3 木綿きものを選んで縫ってみた!
昨日10月26日の夜で無事に開催終了しました^^
ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!!
日曜日に参加くださったKさんが
実は告知の段階では、えりこさんの和裁苦労話がメインなのか?と思ってました^^; 木綿着物について知りたい人来てね!感がもっと押し出されてればいいのに~、と思ったのでした…。聞けなかった人たちもったいない!!
とご感想くださいました!笑
そうなのそうなの^^
私も話始めてみたら和裁よりも前に、木綿の歴史や産地などのお話が多くなって…伝えたかったのはこっちだったんだなってやってみて思いました。
和裁のやり方を知りたかった方には逆にゴメンナサイ!!^^; こちらのブログを参考にされてくださいね!
木綿はカジュアル着として今はとっても身近ですけど、その歴史や栽培方法を知るともっともっと大切にしたいと考えさせられます。
木綿、コットンの歴史は古く、紀元前5000年代にメキシコ、そしてインドで栽培が始まったと言われています。
今のエジプトのアラビア世界でも紀元前200年頃から栽培が始まります。
さらに木綿は、インドから東南アジア、そして中国、朝鮮とアジア広く伝わっていくのですが、日本で木綿の栽培が始まったのは比較的最近、15世紀の室町時代 でした。
1479年に筑前国で栽培された木綿が、お寺に献上されたという記録があり、これが日本の国産木綿の最初のものだそうです。
その頃、日本では木綿が大人気。朝鮮から木綿を輸入していたものの、あまりにも日本が木綿を買いすぎて朝鮮側が輸入を規制したことから日本国内で木綿を作ろう!ということになったわけです。
そして、日本の木綿栽培が本格的に花ひらくのは江戸時代に入ってから。戦乱が終わって、農村の暮らしが安定してからのこと。
木綿栽培を新たにやってみよう!と周りの人々を巻き込んで、育たないかもしれないリスクも覚悟して、挑戦した人たちが農村にいたからこそ、日本で木綿が育ち、広がった。
その頃の農村の様子はカムイ伝という漫画に詳しいそう。
私はこのカムイ伝を題材に江戸の社会を語った田中優子先生の『カムイ伝講義』という本から江戸時代の木綿栽培への挑戦の話を知りました。
木綿を育てるためには実は大量の肥料と水、その施肥のための適切な管理が必要なのだそうです。
江戸時代の木綿栽培で使われた肥料は干鰯(ほしか)。
干した鰯、そのものを芽が出たばかりの木綿のとなりに土に穴を開けて入れたのです。
村の人みんなで協力して、地引き網でがっつりイワシを獲るなど、漁業も盛んになっていることが木綿栽培に必要だったのですね。
それもあって日本の木綿産地は、静岡の遠州、愛知の三河など海に近い地域で発展します。
そして水もたくさん必要なので、水を木綿畑に引く灌漑システムも必要になります。
木綿を栽培するために使われる水の量。
どのくらいだと思います?
今でも1枚のコットンTシャツを作るために、2000〜2700リットルとも言われるんですね。…すごいことだ!!
そうやって江戸時代に急成長した日本の木綿生産は、400年ほどで終わります。
明治政府は木綿の関税を撤廃をしてしまい、海外から安い木綿がどんどんと入ってきてしまったから。
以来、今に至るまで日本の木綿産地のほとんどは、輸入した木綿糸を使って木綿の布を作り続けています。
私たちがきもの屋さんで出会う木綿のきものたちも、世界各地でたくさんの肥料と水を使って育てられ海を渡ってやってきて、日本でデザインされ織られて…
大地の恵みであり、たくさんの人の手をかけてもらったかけがえのない一本。
すり切れて、きものとして全うされるまで、私も今回の木綿きものを
たくさん着ようと思います。
それではまた!
和創塾
〜きもので魅せる もうひとりの自分〜
主宰 上杉惠理子
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