きものができるまで

沖縄の布を感じる旅/芭蕉布の故郷と首里染織館suikaraを訪ねて

こんにちは。
上杉惠理子です。

2022年5月のGW明け、沖縄に行ってきました。

初日は東京からの移動だったので、単のお召に半幅帯を着ていたのですが、暑い暑い!!

さすが沖縄ですねぇ〜

沖縄旅のキッカケは…

到着した5月10日は、昼食を食べて那覇市内のコワーキングカフェへ。いつもお世話になっている出版プロデューサーでネクスト著者養成スクール主宰 松尾昭仁先生のセミナーだったのです。

2018年に一緒にオーディションに出た、沖縄在住で『軍用地投資』の著者 仲里桂一さんが主催。

久しぶりに仲里さんにも会いたいし♪ということで、このタイミングで沖縄に来たのでした。

仲里さん♪ かりゆしがお似合いです^^

沖縄在住のスクール卒業生が5名、そして県外からも私を含めて3人の卒業生が遊びにきて… みんなどんだけこの著者養成スクールが好きなんでしょーか!?笑

沖縄にくるキッカケをありがとうございます❤︎

芭蕉布の故郷、大宜味村 喜如嘉へ

さて、今回沖縄に行くならぜひ行きたかったところがあります。

芭蕉布の故郷、大宜味村 喜如嘉です。

大宜味村は沖縄本島の北部にあり、那覇からかなりの遠方です。

ペーパードライバーの私はどうやって行こうか…と悩んでいたところ、出版スクールでサポートさせてもらった おかちゃんが1日付き合ってくれて、車で連れて行ってくれました^^ 

おかちゃんは沖縄に在住17年で、美容室、飲食店、化粧品会社を持つ若手経営者さん。

すごい人なのですが、出版企画書づくりは難航し、今まで私がサポートした10人の中でダントツ時間がかかった人^^; …というわけで、お礼にと赤のスポーツカーでアッシーしてくれました!

おかげさまで那覇から2時間弱で、大宜味村の喜如嘉 芭蕉布会館に到着しました♪

那覇から離れた大宜味村は、昔ながらの沖縄の風景が残る地域。民家やお墓など伝統的な建築が残り、月桃や鉄砲ユリなど自生する花々が美しく咲いていました。

さて。芭蕉布をご存知でしょうか?

芭蕉布はバナナの木の一種、糸芭蕉という植物の内皮で作られる沖縄の布のこと。

トンボの羽のように薄くて軽く、もともとは沖縄各地で作られ、人々の暮らしに欠かすことができない普段着のきものでした。

太平洋戦争で芭蕉布作りは途切れ、途絶えそうになったところ、芭蕉布復興に尽力されたのが大宜味村 喜如嘉の 平良敏子さんでした。

平良敏子さんはご自身でも優れた作り手でありながら、村の女性たちを織り手として雇用し芭蕉布づくりを地域産業に育て、芭蕉布の価値が認められるよう働きかけも行いました。

そうした努力があり、

材料となる芭蕉の木はもちろん、染料なども全て沖縄の自然のものを使い、機械を一切使わず数百年間変わらない手仕事で、今も喜如嘉地域では芭蕉布は作り続けられています。

芭蕉布会館は1階は展示スペース、2階は共同作業場になっています。

2階はあくまでお仕事場であるため、撮影NGで扉越しに拝見するだけだったのですが

10人ほどの方々が床に座って、苧引き(うーびき)という原皮から布にするための繊維を取り出す作業をされていました。

えーぴという竹バサミを使って、原皮をしごくと、艶やかな繊維が現れます。

意外と力がいるお仕事なんだろうなと、皆さんの手の動きと音から感じられました。

苧引きをされている皆さんの奥に、小柄なおばあちゃまがいらっしゃるなぁと思っていたら、平良敏子さんその人だとあとで教えていただきました。

平良敏子さんは現在、102歳。

今もほぼ毎日、午前中はこの芭蕉布会館の共同作業場で指導に当たっているそうです…!! 

…すごい!!

1階では芭蕉布づくりに使われる道具や芭蕉布を使った品を見たり、つくりかたを紹介してくれる動画を見たりできました。

こちらの喜如嘉の芭蕉布保存会サイトからも、芭蕉布がどれだけの時間と手間をかけて作られるのか、動画で見ることができます。

喜如嘉の芭蕉布保存会HP
http://bashofu.jp/index.html

こうした手仕事を知ると、こんなに素敵なものを生み出す人の手ってすごいなぁといつも思います。

また、あの糸芭蕉の木からこんなに薄くて美しい布をつくるために、どれだけ多くの人が長い年月をかけて試行錯誤してきたのだろうと思うのです。

芭蕉布一枚に先人たちの知恵や経験が、ぎゅーっと詰まっているんだなぁ。

芭蕉布会館のあとは、沖縄本島最北端の辺戸岬と古宇利島にも連れて行っていただきました。

曇り空でしたが、海は本当に綺麗で波も穏やか。沖縄に来たんだなぁ〜

琉球王朝の布文化を伝える 首里染織館へ

芭蕉布の故郷に行くことができ、さらに沖縄3日目。「ひとりで博物館まわり〜♪」ということで向かったのがこちら。

首里染織館 suikara
https://suikara.ryukyu/

首里城のふもとに先月新たにOPENした 首里織と琉球びんがたの二つの組合の拠点施設です。

沖縄在住のメルマガ読者さんからおすすめいただきました。Yさん、ありがとうございました!!^^

いやぁ〜〜すごくよかったです!!

1階は展示とショップで、首里織とびんがたの素敵なきものや帯、小物たちがずらり〜❤︎

また、現代の技術で復刻した琉球王朝の紅型のお衣装、今では幻と言われる桐板(トゥンバン)のきものや芭蕉布のきものなど貴重な展示も!(撮影できずで残念…)

そして2階は琉球びんがた事業共同組合さん、3階は首里織の那覇伝統織物事業組合さん、それぞれの共同作業場と組合検査場があります。

紅型の作業場。絹ものは浮かせて色付けします。



紅型を染めた後、染料を定着させる蒸し器
布の洗い場。仕切りを外せば、きもの一反(約13m)も広げて洗えます^^ 
お鍋でグツグツ…草木染めもできる染め場
晴れた日は海まで見える乾燥スペース
研修生からベテランの職人さんまで使える首里織の機

オープンしたばかりで、作業をされている職人さんがまだ少なかったので、あちらこちら見せていただくことができました。

糸を染める工程や、紅型の染めた後の蒸し工程など、各自で設備をもつのが難しい部分は、組合の職人さんたちはこちらの共同作業場で行うのだそうです。

また、ご自宅やそれぞれの工房でつくった品物は、全てこの組合に持ってきて、検査を受けます。その検査に合格したものには証紙を貼って卸問屋さんや小売さんの手に渡り、全国に流通していきます。

こうした観光客向けの展示や体験施設は他の産地にもありますが、

実際にプロの職人さんが仕事をする場であるこのsuikaraは別格でした

また、ここでは1階で、着物や帯を一部直販していることにも感動しました…!!

他の産地でも同じですが通常、着物の作り手さんは組合や卸に自分がつくった品を渡すと、そこからどこに流通するのか、いくらで最終取引されるのか、最後誰の手にわたるのか…全くわかりません。

きものの世界でも少しずつ直販は増えていますが、それは卸や小売を飛ばすこと。

これまできもの業界を支えてきた人の仕事がなくす行為とわかって直販するのは、きものの商慣習ではなかなか大きな壁です。

ですが、きものの作り手さんと着る人がちゃんと繋がることは、お互いにとても大切。

作り手さんの顔とストーリーが見えれば、着る人は気持ちよく対価を払えて、もっと大切に着ようと思える。

着る人の顔とストーリーが見えれば、作り手さんは仕事の励みになるし、もっと良い品を作ろうと思える。

作り手さんと着る人が出会う場所として、このsuikaraは大きな可能性を感じました

首里花織の織り体験をしてきました!

首里染織館suikaraは、ぐるりと回るだけでも勉強になるのですが、首里織とびんがたの体験メニューもあります。

ちょうど予約の空きもあり、首里織の体験もさせていただきました^^ 

新品ピカピカの機で、正絹で、帯幅と同じ幅で、首里花織を10センチほど織らせていただきました。

首里織は、琉球王国の首里王府城下町で織られた布で、王族・貴族などの衣装として着用されました。

王族貴族専用だった首里花倉織、士族以上が着用した首里花織、男性官衣として使われた道屯(ロートン)織などいくつか種類があります。

首里織の特徴は、シンプルな平織の途中で、よこ糸をたて糸の上に浮かせて(逆もあり)立体的な柄を出すこと。

刺繍ではなく、織り機で、この浮かせた文様を出しています。

今回体験したのは、首里花織です。

たて糸は出したい柄に合わせて糸を並べて張ります(この準備だけでめちゃくちゃ大変だそう…!)。

エレクトーンのペダルのように足元の板を踏み変えながら、ここに よこ糸を入れていきます。

シンプルな平織の布は、たて糸を交互に上げ下げする地綜絖(じ そうこう)を通し、地綜絖を足元のペダルでを交互に踏むことで、上げ下げします。

首里花織は地綜絖の手前に、花綜絖(はな そうこう)もあり、浮いた柄を出したいときには、花綜絖を踏んで柄を出したい部分の たて糸を下げます。

…うーん、、説明が難しい笑

私も大島紬や木綿のミンサーなどこれまでに織物体験を3回くらいしたことがあるのですが、今回やっと平織の仕組みがわかったところです(遅い!笑)

地綜絖はペダルを踏むのでまだやりやすいのですが、花綜絖は紐で吊ってあって、紐を足で踏み下ろすのです。

グッと踏み込まないと、きっちり たて糸が降りない。

また、↑の写真で左手で押さえているのが筬(おさ)という部分で、トントンっと糸を織りこむ道具。よこ糸を通すときには、この筬をグッと奥に押さえておかないと、横糸が通らないのです。

昔話「鶴の恩返し」じゃないですけど、機織りって優雅なイメージありません?スーッ、トントン、スーッ、トントン…

いやいやいや…めっちゃ重労働です!!

見事に右足の太ももが筋肉痛になりました笑

今回は花綜絖が3枚あったので、「水色の紐を踏んでください〜」「次はベージュですね」とご指示いただきながら、てんやわんやしながら織り上げたのでした。

ですが、複雑な柄は、花綜絖を10枚以上使うこともあるそう!!

紐と足が絡まりそう。。。

この仕組みを考えた人、、、ほんっとすごいなぁ、、、!!

こうして出来上がった、私の花織コースターは私が頑張って、1時間で10cmでしょうか。1時間でかなりへばりました、、、

これを帯なら4m前後、きものなら13m織り続けて完成するのです。

手織りってすごいなと、、本当に思います。

それでも機織りは全体の工程のうち、最後の数%。

最初の柄の設計から糸を染めて、糸を並べて、綜絖に通し、機にセットするまでの準備が本当に大変なのだそうです。

また、首里織は分業制ではなく、最初の図案設計から染め、織りまでひとりの職人さんが全工程を行うことも特徴だそうです。

首里織の組合証紙には製造者名も書かれていますが、最初から全部作ってくださった方という意味なのですね。

12日は博物館巡り、と思っていましたが、想像以上にハードな織体験で、こちらの首里染織館で力尽きました笑 ですが体験することで大きな学びと気づきを得た日になりました。

ご指導くださった那覇伝統織物事業組合のYさま、本当にありがとうございました!!

きものを通じて沖縄の布文化に貢献できたら…

首里花織、芭蕉布、紅型と今回の沖縄旅で触れてきましたが、沖縄は他にも琉球絣、ミンサー、八重山上布など伝統的な布文化がいくつも残っています。

これは琉球王朝の時代、ここがアジアの交易の拠点であり、良いものを受け入れて独自に発展させる器をこの地の人々が持っていたからこそ。

沖縄の伝統衣装 琉装は、袂が長く右前に着るなど日本の着物と似ている点もありますが、高温多湿な沖縄に合わせた独自の着付けをする、また異なる衣装です。

首里織や紅型や芭蕉布の着物や帯はとても素晴らしく、いつか着てみたい憧れではありますが、沖縄の布を きものにまとめてしまうことは、ちょっと乱暴なことだと私は思っています。

沖縄の布たちは、きものや帯をつくることで販路を維持し残ってきたとも言えますが、あくまで琉球の衣装であった歴史を大切に考えたい。

ちょうど明日2022年5月15日が、沖縄の本土復帰50年の日。

この節目の時期に訪れた幸運に感謝です。

私ができることは微力ですが、沖縄の豊かで且つ悲しい歴史に思いを寄せながら、きものを通じて沖縄の布文化を残したいという沖縄のみなさまの力になれたらと思っています。

大切な学びに感謝して。

和創塾〜きもので魅せる もうひとりの自分〜主宰
上杉惠理子


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